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自分のための涙へ


赤ちゃんの頃の私たちは、泣いてばかりです。
いつまでも、赤ちゃんの意思表示が如く、涙を使っているようでは、言語が発達しません。
ですから、私たちは、成長の過程で1度は、涙とお別れをする必要があります。

しかしながら、その上で、涙を見直してみましょう。
涙には、浄化の効果があります。
理屈では受け入れ切れなかったものを涙が無理なく、洗い流してくれるのです。

赤ちゃんの頃は、泣かないと、命の危険に曝されてしまいます。
一方で、直下の危険は無くとも、心の健康を維持するために、時として、「大人が泣いてしまえること」は大切なのです。

「大人になったら、泣くものじゃない。」という、ステレオタイプな意見は置いておきましょう。
大人になってから遭遇する不条理は、人よって星の数です。
これらと折り合いを成していくためにも、涙を封じ過ぎてしまうのは、実は賢い方法ではありません。
最良の選択をしているようで、実際には、自分の首を自分で絞めるに等しい現実を意味します。
泣けない代わりに、命を失う人もいます。
泣けないことで情緒を失って、情感で人と繋がれない孤独を味わう人がいます。
泣けないことで失った情緒が、本意に反して、他者を傷つけるかもしれません。

心からの涙を流すことが苦手な人は、精神の張りにリセットが効き難く、どこか、体の芯がつっぱったままになるのです。
更に、浄化の生じなかった埋め合わせとして、常に、何かに勝ち続けなければいけない心理を味わうかもしれません。
言い換えれば、誰が追い立てずとも、本人が負け犬心理に追われ続けるかもしれません。
その勝ちを目指し続ける衝動について、ご本人は、強くなったと勘違いするかもしれませんが、真実は逆です。
体を張っていないと怖いから、あべこべに強さを装わなくてはいけなくなるのです。

そうした姿勢が、依存症を招くのはよくあることです。
依存症とは、涙を流せない人の嘆きの変形なのです。

或は、こういうのもよくある話です。
泣けない人間の身近な他者が、よく泣いている。
この他者は、実は、自分のことで泣いているとも言い難いのです。
実際、泣けない人間の代わりに泣いていると捉える方が、自然です。
従って、この二者は、自分のために素直に涙してやることが出来ずにいます。
この点がまた、親密性の発達を阻害し、生活が荒んでいく要因となります。

自分のために泣かないことを誇る考え方もありますが、半面、そのことが他者を泣かせているかもしれません。
依存症という、複雑化したストレスから脱皮してゆくためにも、自分のための涙を探してやる旅もまた、必要不可欠なのかもしれません。







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