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恋愛依存と回避依存


日常の悪いストレスは、依存症に、摩り替わりやすいものです。
人間関係で生じたストレスは、人間関係にも再び、転じやすいのです。
ところで、恋愛と呼ばれる現象とは、男女間や同性同士の愛憎劇に限らず、日常のあちこちにあります。
ホラ、職場の人間同士でも、差別って起こるでしょう?
あれは、色恋挟まぬ人間関係でも、恋愛が起こっている証拠です。
簡単に言ってしまえば、恋愛の根源とは、人それぞれ、直下の好みを指すのです。
そして、はっきりと意識しないまでも、まず人間は、好き・嫌いをどこかで判断しています。
この第1の判断は必要なものでもあるのですが、部分的な判断でもあることを把握していないと、誤った判断を下してしまうことになります。
長い目で見ようとして、見える良さの発見を最初の時点で、放棄してしまうからです。

でも、昨今、そこからをコミュニケイトする機会というと、そうはありません。
「アノ人、好きー。」「アノ人は、嫌いー。」
そう吐き出すまでで精一杯である、というのは、よく見かける光景でもないでしょうか?
それでいいと納得してしまうのも、人生におけるひとつの選択肢ですが、人間の心とは、これまた不思議なものです。
自分がされる側になるとなると、そうも、余裕風をかましていられないんですね。

とりあえず、外見だけをクールに見せることと、自分に対する、他者からの理解についての飢えが満たされることは、まるで別次元に存在しています。
となると、余裕を装いながらも余裕の無い人々、即ち、(愛されていないと感じる)孤立感を抱え、荒んだ気持ちを抱えた人間は、多く、街に漂う計算式となります。
さて、そうした不安の沸き起こるのをどう対処しようか・・・?
一時的にもここを和らげる、手近な手段が、依存という、"好むものへの姿勢、拘り"となります。

例えば、恋愛関係の獲得によって、孤立感が和らぐというのがありますよね?
この点は、これからお話しする恋愛依存と、回避依存に共通した要素です。
しかしながら、先に述べたコミュニケーションの壁は、いずれ現実と同じように、恋する二人の間を立ちはだかります。
たいてい、先に、恋愛に燃え尽きるのは、回避依存傾向のある方です。
手に入れるまでは渇望しても、継続という扱い方がわからない。
与えられたものを文字通りに、扱うしか無くなってしまう彼らにとって、慣れるという現象が曲者なのです。
変化に富まない情景となった、好意を持たれるという刺激が、彼らには、ただひたすらに鬱陶しくなってきます。
一見、主導権を持っているような回避依存症者の問題は、実は、彼らもまた、自分の人生に対する主導権を握っていないことです。
ですから、「待っているだけでは、やって来ない刺激」に腹を立てつつ、与えてくれない相手との交流が、だんだんと面倒くさくなるわけです。

その対にあたり、同時に、同じでもあるのが恋愛依存症者です。
回避依存のパートナーが、王様になってしまっている問題性を薄々感じつつも、精神的な突き放しが出来ません。
もともとその恋愛を始めた根拠にも、自分に対する自信の無さや、それ故の孤立感がありました。そうした感情の下では、それを覆ってくれた、布団を放り投げて、一撃、食らわすなどもっての外です。
そうしているうちに、どんどんと回避依存優位の支配性を帯びた、報われない恋愛関係が育ってゆくのです。

片や、この順位が逆転する瞬間があります。
それは、思い余って恋愛依存症者が、回避依存症者を突き放した時です。
回避依存症者にしてみれば、優位に立つための根拠にあった安全感が削がれるので、一時的にも、刺激への価値基準がぐんと引き下がります。
突き放してみたものの、次の瞬間、恋愛依存症者を引き止めるのが、この現象です。
そうした時にだけ見せる、回避傾向の愛情を乞う姿がまた、恋愛依存症者には、美味しい美味しい餌になってしまうのです。
自分がいないと、駄目なのね。私は、この人に求められているんだわ。
人から求められる自分という構図は、低い自尊心を一時的にも、回復させるのです。
それ故に、恋愛依存症者は、回避依存症者を飼ってしまうのです。

そうした支配関係の中で、どうしてゆくことが大切なのでしょうか。
アンチョコを聞きたくなる人もあるかと思いますが、この点について、私は、アンチョコで得た方法ではいけないと思います。
どこか脇っちょに置いて来た、自分自身を見つめる時間と、そのものへの集中が必要です。
その上で、ようやく見つかってゆく、独り善がりとも違う、だけど、自分だけの言葉を何よりも自分の声で、自分や誰かに話すこと。話してみること。
私たちは、「誰かが、どうした。誰さんは、どうだったから。」と、他人を主語に話すような動作を行う、自分自身からの逃げを踏みとどまらねばなりません。
依存傾向を自愛に変換してゆくためにも、「一時しのぎになる部分だけ」を見つめて、自分の気持ちを誤魔化してばかりではいけないということです。
他者を問うてばかりの人は、自分を問うことを覚えねばなりません。
自責の念に追われるばかりの人は、自分と他者について、区別することを知覚してゆかねばなりません・・・。








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