ストレス解消 ストレス発散 ストレスマネジメント
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ストレスが溜まると言う言葉が広がって、暫く立ちました。 この言葉は、軽症から重度のものまで、現代人の疲労や不安を語る代名詞として、定着しています。 日常では、ストレスと呼ばれる、何か有害物質が存在しているかのように使われています。 しかしながら、その本来の姿、性質を知っている人は、そう多くはありません。 目に見える物質がストレスではなく、気がつけば、心身に負担を感じているので、「これは、ストレスだ!」と認識されます。 疲れているとか、不安だというマイナス感情等の結果から推測される、悪魔的存在がストレスとなっています。 ところが、ストレスについて研究が進むにつれ、ストレスは、まんざら悪魔では無いことがわかってきました。 ストレスというのは、そもそもが圧力的概念であり、「私たち人間が、動作するためのスイッチにあたるものである」というのです。 私たちは、生きるために、ご飯を食べなくてはなりません。ご飯を食べるためには、労働も必要です。 片や、ただ働かされるだけでは、心が乾いてしまいます。そのため、仕事や趣味を通した自己実現へ向けて、活動をします。 生きるという活動へ向けた圧力をかけたり、かけられもする一連の動作そのものが、ストレス=ストレスのかかった状態なのです。 また、ストレスのかかった状態を導く、先に挙げたいくつもの要因を、その時々のストレッサーと言います。 ストレス=ストレスのかかった状態とは、体を生かすための天使でもあります。 しかしながら、度が過ぎれば、生きるための頑張りが体を締め付けることもあり、この時ばかりは悪魔なのです。 この両者から捉えて、初めて見えてくるのがストレスです。 その本質とは、中庸的な概念であるのです。 害になるストレスを失くそうと謳う活動は、ストレスマネジメントという言語を生み出しました。マネジメントですから、失くそうというよりは、バランスを考えてゆこうとなります。 ところで、小さいことのようですが、私は、「失くそう」から「バランスをとろう」という考え方への移行について、心に留める価値が充分にあると思っています。 悪いものは失くそうといった、一義的なものの考え方からは、ストレス耐性への過信も産出されていたからです。 例えば、「強くてタフな人間が、ストレスに強いのだ!」と筋骨隆々なあり方を讃え、適度なギブアップを排除する価値観を育てました。 この価値観は、人それぞれの体質があり、その中で懸命に生き抜く尊い姿を考え無しに、踏み潰しもしました。 或は、強さと謳ったものが、その時々で、体を気遣う我が身を恥だと思い込ませ、その一方でタフな人物こそ、晩年の姿や亡くなり方が不健康でした。 マネジメントという考え方は、生まれるべくして生まれたものであると思います。 人生80年時代、どうも、「一気に駆け抜けるだけが、人生ではないよ」と、体が、明確に知らせ始めたようです。 戦時下や、病気で簡単に人が死んだ時代において、その限られた時間で何をするかのみが大切でしたが、長寿を得た人間は、生き方そのものを考えるといった宿題を与えられたようです。 ストレスとどのようにつき合ってゆくか、そのことは、この宿題の要にあたります。 |